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2017年4月21日 (金)

命の終わりの社会化を

命の終わりの社会化を

中日新聞 社説:利用者負担上げ 「介護の社会化」は遠く
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017042102000107.html

一定所得以上の利用者負担引き上げを盛り込んだ介護保険法の改正案が衆院を通過し、今国会で成立する見通しになった。矢継ぎ早の給付カットに「保険あってサービスなし」の事態が懸念される。

食卓の上には「もう限界です」との走り書きがあった。東京都八王子市で先月、認知症の妻(81)を殺害し、無理心中を図ったとして、夫(84)が殺人の疑いで逮捕された。睡眠薬を飲んで自殺を図った夫は「介護に疲れ、精神的に追い込まれた」と供述している。介護サービスは利用していたという。



介護を社会全体で担う「介護の社会化」という制度創設時の理念から遠ざかっている。

どんなにお金を頑張ってもこのような悲劇は無くならないだろう。どんなに頑張っても命には終わりがある。それを伸ばそうと頑張っても限界はある。そして、そのギリギリの時間の生活の質を高めようとすれば、とんでもなくお金がかかる。

いつか限界にぶつかる。そして、そのお金は誰が支払うのか。税金や保険料で徴収して、現役世代の生活や子育てを圧迫するのか。

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「介護を社会全体で担う『介護の社会化』という制度創設時の理念から遠ざかっている」

介護は死という形で終わりを迎える。介護の社会化というならば、介護のの終わりである「死」、どうなったら(どういう状況になったら)死を受け入れるのかも社会化しなければならない。それが出来ていないから「介護の社会化」も出来ないのだ。

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どのような形で死を向かえるのか、どういう状態になったら生を諦めるのか、こういったことを「社会化」する、つまり共通の基準や常識を作らなければならない。それが、引用した記事のような悲劇をなくす現実的な道だろう。

しかし、こういう議論をしようとすると、特に政治の世界で議論を始めると(介護保険のような制度を含めてなのだから政治の世界で議論は必須)、命の選別だとか、老人は死ねと言うのかとか、姨捨山を作るのかなどと反発が噴出するだろう。だから政治家たちは話したがらない。

悪い話はしたくないものだ。

その結果の皺寄せが、弱者(社会に「もういいよ」と言ってもらわないと終えられない人間)に現れるのだ。

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命の終わりの社会化が必要だ。

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