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2017年4月 7日 (金)

報道されないこと

報道されないこと

産経新聞:非生産的な“逆上狙い”の挑発質問 「暴言」「激高」の今村雅弘復興相、弁解の余地ないが…
http://www.sankei.com/politics/news/170406/plt1704060034-n1.html

福島原発事故に伴う自主避難者に「自己責任」と述べた今村雅弘復興相の“暴言”は弁解の余地がない。明らかに言いすぎであり、質問したフリーの男性記者に激高したことも閣僚の資質を疑わせる対応だ。

ただ、記者は今村氏の逆上を狙ったかのように挑発的な質問を繰り返した。テレビのニュースは今村氏が声を荒らげる場面を中心に伝えたが、会見全体をみると記者の「引っかけ」にはまった様子がうかがえる。

政権を攻撃したいという意図がなかったとしても、「テレビのニュースは今村氏が声を荒らげる場面を中心に伝えた」ということになるだろう。だって、無礼な記者より激昂する政治家の方がおもしろいもん(視聴率だって激昂する政治家の方がとれるだろう)。

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しかし、忘れてはならないのは、片方の言い分のみで判断を下してはならないということ。

誰かが怒っているとき、ただ一人で怒っているということなく、誰かに向かって怒っていることがほとんどだ。政治家が激昂しているならば、激昂させた何か(誰か)があるはずだ、理由があるはずだ。

ならば、何に・誰に・何故、激昂しているのか、激昂する前にあった事実も報道されるべきだ。その理由や事実を考慮することなく判断するのは危険だ。言い分の片方しか聞かないわけだから。激昂させた方の言い分や、どういう言動があって激昂に至ったのか。それを知らないで判断するのは危険だ。

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政治家が激昂したとき、失言があったとき、激昂する場面や失言だけが報道されて、そこに至る状況や前後関係が報道される事は少ない。そのようマスコミは社会の木鐸たりえるのだろうか。それとも彼等は単なる娯楽や扇動機関なのだろうか。

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政治家の失言などが報道されるとき、前後関係が報道されない場合、自分としては「軽く」考えるようにしている(例:「また失礼な記者がいたんでしょ」「挑発にのっちゃったのかな」)。その失言だけでは判断できないのだから。

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