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2017年5月 4日 (木)

国家の為に尽くさない人間ばかりだったら?

国家の為に尽くさない人間ばかりだったら?

北海道新聞 社説:憲法施行70年 危機の時こそ役割が増す
http://dd.hokkaido-np.co.jp//news/opinion/editorial/2-0113136.html

敗戦を機に否定された教育勅語に対して、歴代政権に比べ安倍政権は寛容なようだ。

政府は「教育の唯一の根本とする指導は不適切」としつつも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定した。

教育勅語には親孝行などの徳目もあるが、その核心は「危急の事態が起きたら一身をささげて皇室国家のために尽くせ」と軍国教育を支えた部分にある。個人の尊重や国民主権と相いれない。

物事には程度問題があるので極論で判断してはならないが、もし誰も国家の危機の時に国家の為に尽くさなかったとしたらどうなるかを考えてみるのも良いだろう。

国家の危機の時に、誰も国家の為に尽くさない。そんな国家の国民はどんな状況になるだろうか。個人として尊重されるだろうか。政治的権利は保証されるだろうか。そんな事はないだろう。個人として尊重されるためには、「尊重する側」が必要で、それは社会だったり国家だったりする訳だが(国家の危機になっても誰も尽くさないのだがら)、非常時には崩壊するのだから、とても個人を個人として尊重することなど出来ないし、個人の政治的権利も絵に描いた餅になってしまうことになる。

それは幸せな社会で幸せな個人だろうか、私達はそんな社会や国家を望むのだろうか。

  *       *      *

以上は極論ではあるけれど、教育勅語を否定する先にあるものの姿というか可能性のひとつでもあるのだ。

  *       *      *

国家を優先しすぎると、国家の存在理由と矛盾してしまう(国家はその国民に幸せな生活をさせる為にこそ存在する)。かといって個人を優先しすぎると国家は国民を保護する能力を失う。

なにごとも程々にと言うつまらない結論だけれど、教育勅語を否定するだけでは駄目なのだ。

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コメント

小さなところでは、ごみの収集にだに高望みをするモンスターの存在となって表れています。


ゴミ収集車の職員にクレーム「まだ来てねーぞ!今すぐ来い!」http://news.livedoor.com/topics/detail/13016727/

投稿: DUCE | 2017年5月 4日 (木) 17時17分

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