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2017年7月27日 (木)

あぁ、金持ちの考え方だ

あぁ、金持ちの考え方だ

東京新聞:<「やまゆり園」事件 被告への返信>(上) 生きる価値のない人いない
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017072602000126.html

知的障害者施設の入所者十九人が元職員に殺害された「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の事件から、二十六日で一年となる。逮捕された植松聖(さとし)被告(27)=殺人罪などで起訴=が本紙記者に宛てた手紙には、今も変わらぬ障害者への強い差別的思想がつづられていた。障害の有無にかかわらず共に歩むために、何をすべきなのか。障害者に関わる人たちから被告への返信は、社会に対する問い掛けでもある。



「生活保護受給者へのバッシングを繰り返す社会にも、似た風潮があるのではないか。人の命をお金で換算するような考えはやめ、命を敬う社会に変えませんか」

生きる権利はあっても食い物がない、働く権利があっても職がない、なんて事はありえることだ。そんな場合にどうする?という問いに答えない限り「人の命をお金で換算するような考えはやめ、命を敬う社会に変えませんか」と言っても、綺麗事に過ぎない。

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日本では餓死することは珍しくなったけれど、アフリカで、あるいは他の場所では珍しいことではない。そういった場所の人々は生きる価値がないのだろうか?いや、そんなことはない。だけど、食べ物がなくて生きていられないだけ。

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命は平等だと言うけれど、私は、自分の子供の命と地球の裏側で飢え死にしそうな千人の子供の命が天秤に乗ったなら、躊躇することなく自分の子供の命をとるだろう。

命だけではない。子供の食費や学費を削ってまで、地球の裏側で飢え死にしそうな子供に援助することはない。そういったものを支払って、余裕があればするかもしれないが。

私の行動は、私が命を平等だとは思っていないことを示している。しかし、私と同様に行動する親は多いだろう、いや、ほとんど全部だろう。

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自分の子供にかけるお金が十分にあって、地球の裏側にまで援助をする余裕がある。そういった本物のお金持ちだけが、本気で命は平等だと言えるのだろう。私のような庶民は、タテマエとしては「命は平等だ」などと言うけれど、行動としては(つまり本音としては)命に優先順位をつけている、平等なんかじゃない。

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「人の命をお金で換算するような考えはやめ、命を敬う社会に変えませんか」

お金がなくても命を敬うことはできるだろう。しかしそれは宗教の(宗教家の)役割ではないだろうか。現実世界で現実に(有限のお金で)なんとか暮らしている庶民は、優先順位を付けざるを得ない。その状況のもとで、助けられない命(助けられないと判ってしまった命、助けるための負担が社会が支払えないほど大きい命)をどうやって敬うかという問題なのだから。

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