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2017年9月10日 (日)

桐生悠々なら敵地攻撃能力は必要と言うだろうか

桐生悠々なら敵地攻撃能力は必要と言うだろうか

中日新聞 社説:桐生悠々と防空演習 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017091002000107.html

北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練も行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った桐生悠々なら何と評するでしょうか。

きょう九月十日は明治後期から昭和初期にかけて健筆を振るった反骨のジャーナリスト、桐生悠々の命日です。太平洋戦争の開戦直前、一九四一(昭和十六)年に亡くなり、七十六年がたちます。

本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などで編集、論説の総責任者である主筆を務めた、われわれの大先輩です。

桐生悠々さんという方を知らなかったので、ぐぐってみたら出てきたのが、青空文庫の関東防空大演習を嗤う です。

確かに軍部にとっては不快な文章です。そして、彼が単なる平和主義者ではないと思わせることも書いています。

「要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない」

これはミサイルに当てはめると、MD(ミサイル防衛)じゃダメで敵地攻撃能力を持つべきだと言っているように聞こえます。

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桐生悠々氏なら敵地攻撃能力は必要だと言うでしょうか。

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ところで、中日新聞の原発アレルギーを再確認したのがこれ。

国民の命と暮らしを守るのは政府の役目です。軍事的な脅威をあおるよりも、ミサイル発射や核実験をやめさせるよう外交努力を尽くすのが先決のはずです。そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう。

「そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう」

福島原発にミサイルを打ち込まれるのと、東京の新宿とか銀座、永田町、霞ヶ関に打ち込まれるのと、どちらが人的被害は大きいのでしょうか。

原発の格納容器はそれなりに丈夫ですし、弾道ミサイルの精度はさほど良くないので直撃する可能性は高くありません。

自分が攻撃側なら原発のある地方ではなく都市部に打ち込みます。その方が多くの人的被害を出すことができますし、政治的にも効果が大きいでしょうから。

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