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2017年9月 9日 (土)

心を忘れていないか

心を忘れていないか

信州毎日新聞 社説:あすへのとびら 現役世代の地方回帰 「もう一つの」構想力を
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170903/KT170902ETI090004000.php

互いに関心を持ち合う人と人との関係性、豊かな自然環境、祭りや郷土食といった伝統文化。過疎地域が保持してきた営みに、都会の人々が引かれている。

資本主義経済、成長路線の限界が指摘されている。貧困や格差の拡大、資源の枯渇、水や食料の不足、温暖化に伴う異常気象や生態系の危機が世界的な問題となっている。経済、歴史、哲学、芸術、脳科学、物理学…さまざまな分野の専門家が新たな価値体系を提言し始めている。

京都大こころの未来研究センター教授の広井良典氏はこうした現在を、無理を重ねて物質的な豊かさを実現してきた状況からの転換点と位置付ける。地方への移住は「本当の豊かさや幸福を考えていく時代の入り口」の現象とみる。

「無理を重ねて物質的な豊かさを実現してきた」

確かに、現代社会は物質的な豊かさを追求しているし、それを優先しすぎているかもしれない。しかし、それだけだろうか。一方で、人権や自由も追求してきた。

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人権や自由が悪いものと言うつもりはない、物質的な豊かさが悪いものではないように。しかし、人権や自由の追求も、一度、立ち止まって考えてみるべきではないか。

「互いに関心を持ち合う人と人との関係性、豊かな自然環境、祭りや郷土食といった伝統文化。過疎地域が保持してきた営みに、都会の人々が引かれている」

自由や人権について、都会と田舎でどうちがうだろうか。私は研究者ではないので、個人的な経験と感覚でしか言うことしかできないが、自由や人権についても都会の方が田舎よりもあるように思われる。

因習にとらわれない生き方が出来るのは、都会か田舎かと問えば明らかだろう。都会の方が自由がある。しかし、人々が田舎に求めるものが自然だけではないなら、人々は都会の自由を捨てて、田舎の因習を求めているとも言えるのだ。

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物質的に豊であることは良いことだ。貧乏を経験した人間なら必ず賛成してくれるに知違いない。

街で障害者を見かけることが自分が若い頃(約30年前)より多くなった。これは社会が豊かになり車椅子(電動車椅子)やバリアフリーの設備が増えたことによる結果だ。こういうモノや設備がなければ障害者は家や施設に閉じ込められたままになる。人権意識の向上だけで出来るものではない。

そして、こういった車椅子や設備は物質的な豊かさがなければ、実現できない。

物質的な豊かさは悪いものではない。

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「無理を重ねて物質的な豊かさを実現してきた」現代社会を批判することは簡単だし、田舎や未開の社会を礼賛するのも簡単だ。しかし、その批判の裏には現代社会が達成した自由や人権の限界や欠陥が(人間に適さない部分が)あることを示唆している。

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物質的な豊かさの追求だけでなく、自由や人権のあり方(追求の方法、成果の判断方法)も考え直すべきだろう。

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