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2017年11月19日 (日)

国民を見ていない

国民を見ていない

朝日新聞 社説:政治家の言論 その荒廃ぶりを憂える
http://www.asahi.com/articles/DA3S13233166.html?ref=editorial_backnumber

憲法は議員の国会内での言動に免責特権を認めている。多様な考えをもつ議員の自由な言論を保障するためだ。低劣な罵(ののし)りを許容するためではない。

これまでも、他党に対し「アホ」「ふざけるなよ、お前ら」などと繰り返し、懲罰動議を受けてきた人物である。

一向に改めないのは、黙認する雰囲気が国会内にあるからではないか。

いえ違うと思います。そういった言葉を使っても選挙に影響しないと思っているからでしょう。次の選挙に負けると思えば本人も注意するものですし、党の幹部からも苦言があったり離党や除名になったりします。不倫疑惑で離党した政治家もいますしね。

この社説の筆者は、国会議員だけを見て、有権者である国民を見ていないのではないでしょうか。

  *        *        *

自身のツイッターでは、「朝日新聞、死ね」と書いている。

加計問題の報道は確かな取材に基づくものだ。記事や社説などへの意見や批判は、もちろん真摯(しんし)に受け止める。

だが、「死ね」という言葉には、感情的な敵意のほかにくみ取るものはない。

昨年、「保育園落ちた日本死ね!!!」の言葉が注目されたが、それは政策に不満を抱える市民の表現だ。国会議員の活動での言動は同列にできない。

国民のなかに「死ね」という言葉を許す雰囲気があれば、議員も使うでしょう。使っても本人の謝罪や党幹部からの注意ですんでいるということは、「朝日新聞、死ね」という言葉を許す雰囲気が国民にあるということでしょう。

それは何故なんでしょうか?

  *        *        *

そんな粗雑な言動の先にあるのは政治の荒廃であり、それに翻弄(ほんろう)される国民である。

粗雑な言葉の先にあるのは、粗雑な政治であり国民が迷惑を被るということには同意しますが、それを非難することで終わっていては現状はかわりません。

なぜ、その発言が許されるのか、なぜ国民に粗雑な言葉を許す雰囲気があるのか。ちゃんと国民を見て、考えて、主張しないと「社会の木鐸」としては不十分ではないでしょうか。

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