現地の責任では?
現地の責任では?
中日新聞 社説:エルサレム首都 世界は公正を求める
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017120902000112.html
対立をあおり中東を一層不安定化させるだけである。トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都に認定した。米国が中東和平の公正な仲介役を果たすよう求める国際社会の声を聞くべきだ。
トランプ氏は六日の演説で、エルサレムにはイスラエルの公的機関が実在することを挙げ「首都認定は現実を認める以外の何物でもない」と正当化した。
民族自決、本人の自由・自主性という言葉がある。多くの人は、こういった言葉に反対する人は少ないだろう。では、中東の問題は中東の責任ではないのだろうか。自決や自由・自主性には責任が伴う。自由に振る舞っていながら結果は知りませんでは通らないのだから。
「対立をあおり中東を一層不安定化させるだけである」
中東の人々がアメリカがなんと言おうと自分達の好きにすると言い実行すれば良いだけではないのだろうか。
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アメリカに悪いところがないなどと言うつもりはない。しかし、中東の紛争の責任は中東の人々にこそある。なんといっても、我々よりも長い歴史があり文明の発達も早かった。その人々が、自分達のことに責任がとれないなんて言っていたら惨め過ぎる。
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反米のあまり中東の人々の自主性と責任を忘れていないだろうか。
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