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2018年5月 4日 (金)

憲法は言葉だけの存在ではないので

憲法は言葉だけの存在ではないので

信州毎日新聞 社説:憲法の岐路 国民主権 掘り崩しに歯止めを
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180501/KT180428ETI090003000.php

伊藤らが憲法制定に向けて海外調査などを進めていたころ、民間から幾つもの憲法草案が発表されている。私擬(しぎ)憲法と呼ばれる。

代表的な一つに、土佐の民権活動家植木枝盛(えもり)の「東洋大日本国国憲案」がある。こんな意味のことが書いてある。

▽国民は思想、信教、言論、集会、結社の自由を持つ▽国は国民の自由、権利を侵害する規則を作ってはならない―。

国民の権利を絶対的に保証している。国民は官吏による圧政を排斥できる、との規定もあった。

植木らの思想は弾圧で抑え込まれ、国民的広がりを持つことはなかったものの、先の戦争の後、憲法学者らによる研究や議論を通じて現憲法を制定する際に生かされたことが分かっている(色川大吉「自由民権」)。

「国民の権利を絶対的に保証」、「国民は官吏による圧政を排斥できる」、具体的にはどするんでしょうか。言うだけ、言葉だけで良いのならなんとでも言えますが。

国民Aと国民Bの権利がぶつかった場合、どちらの権利も「絶対的に保障」なんて出来るんでしょうか。保障されているのが対政府だけであるなら、現実の生活ではほとんど無意味です。だって、生活でつきあうのは政府ではなく個人がほとんどですから。

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自民党が6年前にまとめた改憲草案は日本を「天皇を戴(いただ)く国家」と定めている。国民の権利は「公益および公の秩序」に反しない限りで認められる。国民主権を制約する発想が濃い。

私権を制限しないというのはありえません。それを明確に書くか、ごかまして書くかの違いにすぎません。だって、国家は個人の財産を没収したり(税金)、手続きを踏めば個人の自由を制限(懲役など)したりすることができます。場合によっては命を奪うことだってできます(死刑)。

国民の権利を絶対的に保障してたって、税金や懲罰がなくなる訳ではありません。何らかの形で私権は制限されるのです。

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憲法は実用品であることを忘れた議論は意味がありません。

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