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2018年5月20日 (日)

罪悪感を植え付けて

罪悪感を植え付けて

中日新聞 社説:裁かれる国家の「犯罪」 週のはじめに考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018052002000115.html

ちょうど戦後の復興期。引き揚げや復員、ベビーブームで過剰になった人口を抑えることが重要な政策課題でした。人口の「質」を向上させつつ「量」を管理することが焦点だったのです。

やがて障害のある子どもを「不幸」とみなす優生運動が兵庫県を皮切りに広がる。高度成長は障害者の犠牲の上に実現したのです。

七〇年代には出生前診断の普及を背景に、胎児の障害を条件に中絶を認める規定を設ける動きもあった。脳性まひ者らの「青い芝の会」が反発するも、法律の不平等性、非人道性は問われなかった。

「障害のある子どもを『不幸』とみなす」

では、逆に問おう。自分の子供が障害を持って産まれることを望む親がどれだけいるだろうか。

産まれてしまえば、どんな障害を持っていても我が子として愛し育てる人はいるだろう。しかし、障害を持って産まれることを望む親がいるだろうか。

  *        *        *

人間には「本音」がある。その本音を無視して綺麗な建前だけで社会を運営しようとしても無理がある(それは新たな歪みや不幸をもたらすだろう)。

  *        *        *

「高度成長は障害者の犠牲の上に実現したのです」

障害者の人権が侵害されたことについては同意しますが、「犠牲の上に実現した」と言うのはどうでしょうか。「犠牲とともに」なら同意しますが。

そういう事実があったことと、その事実がなければ実現しなかったことを混同してはなりません。

  *        *        *

「高度成長は障害者の犠牲の上に実現したのです」という言葉に、私は、罪悪感を植え付けてコントロールしようという意志を感じてしまいました。私はひねくれているのかもしれません。

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