2017年7月21日 (金)

反中・反米と嫌韓の違い

反中・反米と嫌韓の違い

時事通信:徴用工像、10月設置の動き=済州の日本総領事館前-韓国団体
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017072001022&g=soc

韓国の労働組合などで構成する「強制徴用労働者像建設推進委員会」は20日、済州市で発足の記者会見を行い、日本の植民地支配時代に徴用された労働者を象徴する像を同市内の日本総領事館前に設置する計画を発表した。資金を募り、10月中旬の設置を目標としている。

「反中」、「反米」などの言葉は、その国に反発、対抗する言葉だけれど、「嫌韓」は反発や対抗というよりも「嫌い」ということで、何かが違う。

それは引用した記事にある行為に代表されるように、韓国(あるい朝鮮半島)を日本が支配したということを、韓国人自身が日本人に再確認させているからではないか。

支配、つまり優越していた。勝ったということ。

  *        *        *

徴用工や慰安婦の歴史的事実がどうであれ、朝鮮半島を日本が支配した。支配しなければ徴用工も慰安婦も存在しません。だから、韓国が抗議する度に日本のどこかの無意識の優越感を刺激しているのではないか。

だから抗議されて五月蝿くて面倒で嫌だけれど、中国やアメリカのような恐怖感を韓国に対して抱くことはない。それが、「反中」、「反米」と中国やアメリカに対しては「反」と言うけれど、韓国に対しては「嫌」となるのではないか。

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労働者の代表?

労働者の代表?

朝日新聞:連合へ働き手が異例のデモ 「残業代ゼロ、勝手に交渉」
http://www.asahi.com/articles/ASK7M5HXFK7MULFA01N.html

今回のデモのきっかけは、高プロを「残業代ゼロ法案」と批判してきた連合が一転、執行部の一部メンバーの主導で条件付き容認の方針を決めたことだった。連合傘下でない労組の関係者や市民らがツイッターなどで呼びかけたメッセージは「連合は勝手に労働者を代表するな」などのキーワードとともに拡散。参加者の多くはツイッターでデモの開催を知り、仕事帰りに集まったとみられる。

「勝手に労働者を代表するな」

「勝手に労働者を代表するな」と抗議を行われた方は誰を代表しているのでしょうか。それとも、誰かを代表しているのでもなく、その場ににる方々のみが抗議しているのでしょうか。

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2017年7月20日 (木)

出自による差別は民主主義の根幹

出自による差別は民主主義の根幹

朝日新聞 社説:「戸籍開示要求は差別」指摘も 蓮舫氏「特例」強調
http://www.asahi.com/articles/ASK7L5G0SK7LUTIL04K.html

蓮舫氏が公開に踏み切る前から、批判は起きていた。「移住者と連帯する全国ネットワーク」など四つの市民団体は14日、「日本国籍を有していることが明白である以上、国会議員になることや民進党の代表になることに法的な問題はまったくない」としたうえで、「個人情報の開示を求めることは、出自による差別を禁じている憲法の趣旨に反する差別そのものである」と開示しないよう要請。18日午前には大学教授や弁護士が会見し、在日コリアン弁護士協会代表の金竜介弁護士は「外国にルーツがある人に政治家をやらせていいのか、と必ず波及する」と危惧を述べた。

私は日本国籍を持っているので、日本の政治に参加する権利を持っています。私が日本国籍を持っているのは私の両親が日本国籍をもっていたから。つまり、「出自」によるものです。もし私が外国人の子供として生まれたなら、私は日本の政治に参加する権利は持っていないでしょう。

出自によって政治的権利が決まる。これを差別と言わずとして何を差別と言うのでしょうか。しかし、誰にでも選挙権を与えるような民主国家は存在しませんし、存在したこともありません。

  *        *       *

民主主義には国民が必要とされています。いえ、誰に投票権があり誰に被選挙権があるかを決めなくては民主主義はなりたちません。そして、全ての民主主義国家では国民であるかどうか、選挙権があるかどうかを「出自」で決めています。これは国民であるかどうかを出自以外に決めようがないからです。

  *        *       *

民主主義は国民が必要で、国民であるかどうかを出自以外に決めようがない。つまり民主主義には出自による差別が不可欠なのです。

  *        *       *

「外国にルーツがある人に政治家をやらせていいのか」

誰に参政権があるか(≒誰に政治をやらせていいのか)というのは、民主主義の根幹であり、民主主義国家であるかぎり避けて通れない根本的な議論なのです。

  *        *       *

出自による差別は民主主義の根幹なのです。その事から目を背けた議論は綺麗事であり不毛です。

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2017年7月19日 (水)

「思ってました」で許されるのですか?

「思ってました」で許されるのですか?

東洋経済:民進党の蓮舫代表が「幕引き」を演出した狙い  「台湾籍離脱」資料公表で態勢立て直し目指す
http://toyokeizai.net/articles/-/181037

日本国籍の選択については、2016年10月7日付で日本国籍の選択を宣言したことを記した戸籍謄本の一部を公表した。謄本取得日は今年6月28日で、これまで蓮舫氏が主張してきた内容を裏付ける形となった。

初当選した2004年参院選の選挙公報に「1985年、台湾籍から帰化」と記載したことについて、蓮舫氏は「(台湾籍離脱を)故意に怠っていたわけではなく、ずっと台湾籍を放棄したものと思っていた」と釈明した。公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)に問われる可能性があるが、3年の公訴時効は過ぎている。

法律違反を「思っていた」で許されるのですか?

もし仮に、二重国籍だったのが安倍さんだったとしたら、蓮舫さんや民進党を始めとする政権に批判する方々は「故意ではない」とか「思っていた」で許すのでしょうか。

私にはそうは思えません。

例えば「そもそも」。

朝日新聞:首相答弁の「そもそも」、意味はそもそも? 国会で論戦
http://www.asahi.com/articles/ASK4M3RGSK4MUTFK008.html

議論になったのは、過去3回廃案になった共謀罪法案より適用対象を厳しくしたと訴える首相が、「今回は『そもそも』犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」と述べた1月26日の衆院予算委での答弁。民進党の山尾志桜里氏が「『そもそも』発言を前提とすれば、オウム真理教はそもそもは宗教法人だから(処罰の)対象外か」と尋ねた。

これに対し、首相は「山尾氏は『初めから』という理解しかないと思っているかもしれないが、辞書で念のために調べたら『基本的に』という意味もある」と主張。「オウム真理教はある段階において一変した。『最初から』でなければ捜査の対象にならないという考え方そのものが大きな間違いであり、いわば『基本的に』変わったかどうかということにおいて、『そもそも』という表現を使った」と述べた。

こんな国語の問題のようなことをつついて大騒ぎしました。こんな細かいことまで問題するならば、国籍という政治的権利の根幹にかかわるものをいい加減に扱って良い訳がありません。

  *        *        *

民主主義、国民主権においては、国民に主権がある。逆に言えば国民でないものには政治的権利を認めない。そして、国民であることを示すものが国籍です。

民主国家の政治に関わる者が国籍に大していい加減であって良い訳がありません。

  *        *        *

民進党は加計学園問題では自民党や安倍さんを追求しています。この追求で安倍さんが「思っていました」と言い訳して、そして、民進党やマスコミがじゃあ仕方ありませんねと引き下がったら、蓮舫さんに対する態度と同じで釣り合いがとれますが、そうはならないでしょう。

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2017年7月18日 (火)

欧米の失敗を繰り返すつもりか?

欧米の失敗を繰り返すつもりか?

朝日新聞 社説:憲法70年 多様な人々の共生社会を
http://www.asahi.com/articles/DA3S13041066.html?ref=editorial_backnumber

観光地で、飲食店で、そして学校や職場でも。海外からやってきた人びとの姿は今や、日常に溶け込む光景になった。

日本に暮らす外国人は昨年末の時点で238万人と過去最多となった。登録された国籍・地域は196にのぼる。

欧米の国々と同様、日本も多様な社会への道を確実に歩み始めている。



「外国人お断り」などの露骨な排斥や、低賃金・長時間労働といった人権侵害は当然、なくしていかねばならない。

一方、「マナーが悪い」「言葉が通じないから面倒」といった誤解や偏見から外国人の入居を断る事例も後を絶たない。

日本の賃貸制度や居住マナーを外国語で説明した冊子を配ったり、外国人と日本人双方の相談に乗る窓口を設けたりして、差別を防ぐこともできる。

日本人と外国人をつなぐ試みは、日本語の学びの場の開設や防犯活動など、各地に広がっている。自治体や市民団体の努力をもっと支援していきたい。

心の垣根を取り払い、外国人に「この社会の一員」との自覚をもってもらえる方策こそ、憲法を生かし、日本の繁栄と安定をもたらす道だろう。

欧米が多様化しているのは事実と思いますが、うまくいっていると言えるのでしょうか。多様化多民族化においては欧米は先輩です。その先輩と同じようなことをしていては同じような失敗をするのではないでしょうか。

朝日新聞の社説では、人権を大切にとか仲良くとか相互理解とタテマエを述べていますが、その程度は欧米でも実施されていたでしょう。それでも上手くいかなったのです。多様化・多民族化して、そして融和に失敗すれば、悲惨な結果が待っています。朝日新聞の社説には、その危機感がないように思います。

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2017年7月17日 (月)

自由と権利は強者のもの

自由と権利は強者のもの

信州毎日新聞 社説:監視がむしばむ社会 自由を譲り渡さない
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170716/KT170715ETI090005000.php

〈茶色に守られた安心、それも悪くない〉

フランスの寓話(ぐうわ)「茶色の朝」で主人公が語る言葉だ。共謀罪法が施行された今、この言

葉が耳元で繰り返しささやかれているような感覚がある。



自由と権利は不断の努力によって保持しなければならない、と憲法は定めている。茶色く染めずに次の世代に引き継ぐ責任が主権者の私たちにはある。思想、言論が弾圧された時代を再来させるわけにはいかない。

身をすくめて口をつぐんでしまえば、自由は狭められていく。声を上げ、拒む意思を示したい。一人が一歩を踏み出すことが別の誰かの一歩につながり、連帯する力を生む。

自由や権利が大切であることに疑問はない。その為に戦うべきであることにも疑問はない。

では、戦う力の無い者はどうなるのだろうか。

強い者の自由や権利は確保されるが、結局、戦う力の無い者の自由や権利は奪われることになる。あるいは、戦う力のある者から与えられるものになる。

  *        *       *

自然界では強者が食べ、弱者は食べられる。人間社会では物理的に食べられることはないですが、結局の所、自然界の法則からは逃れられないということでしょう。

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2017年7月16日 (日)

風評被害と世論誘導

風評被害と世論誘導

琉球新報:「再稼働反対」66隻の漁船が海上デモ
https://ryukyushimpo.jp/mainichi/entry-535434.html

九州電力玄海原子力発電所3、4号機(佐賀県玄海町)の再稼働に反対する長崎県松浦市の新松浦漁協が15日、原発の前の海で66隻の漁船(計約220人)による海上デモを決行した。同市は全域が事故発生時の避難対象の半径30キロ圏に入る。長崎県内の漁協が海上抗議行動をしたのは初めてで、漁民たちは「事故が起きれば影響は県境を越え、漁業は壊滅的な被害を受ける」と訴えている。

その被害をもたらすものは風評であり、被害の大部分は風評被害と言えるでしょう。福島原発事故でも漏洩した放射能では一人の健康被害がでていないのですから。

  *        *       *

魚業者としては、風評だろうがそうでなかろうが被害は被害なので反対するのは理解できる。

  *        *       *

しかし、風評被害を防止するのは誰の責任だろうか。

政府?東京電力?マスコミ?

それとも誰にもない?

誰かに責任があるとすると、その彼等は世論誘導すべきとなってしまうのですよね。それはそれで、イヤな感じがします。

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2017年7月15日 (土)

悪と終われても

悪と終われても

河北新報 社説:「核禁止条約」採択/廃絶に向けて決意を新たに
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20170714_01.html

この条約の採択で、何が変わるのか。端的に言えば、核兵器は違法な非人道兵器と断ぜられ、「悪」のレッテルを貼られるということである。

この条約を批准する国の市民はもちろんのこと、核保有国やその同盟国の市民の間にも、「核は違法で悪」との規範意識が今後、じわじわと広がりを見せる可能性を誰も否定はできまい。

悪とレッテルを張られて、だけど強い武器を持ち(あるいは強い武器を持つ者の庇護を得て)生き延びるのと、脅されたり殺されたりするのと、どちらが良いでしょうか。私は弱くて臆病者ですので、悪と言われても生き延びる方が良いです。

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2017年7月14日 (金)

理想を実現すると残酷な社会になる?

理想を実現すると残酷な社会になる?

東洋経済:「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか 100点満点のうち「平均20点」も低い現実
http://toyokeizai.net/articles/-/179582?page=3

まとめれば、親の経済力と子どもが塾に通う程度には強い正の相関があり、通塾すれば学力が高くなることを確認しているので、親の年収の高い子どもの学力を高めているひとつの要因と想定できる。

江戸~明治~大正~昭和と時代が進につれ教育は普及してきた。特に義務教育が始まった明治は大改革だった。それまで教育を受けられなかった人々が受けられるようになった。身分や経済力によらず教育が受けられるようになった。大いに平等になったと言える。

  *         *        *

いま、収入と教育の相関を砕こうとするなら、明治の改革の困難さとは別の種類の困難さがあるだろう。明治の改革の困難さは「始めること」の困難さと言える。いまの困難さは「80を90にすること」「99を100にすることの」の困難さだろう。方向性は判っているが、努力や費用の大きさに比べて得られる成果の小さい改革。

  *         *        *

ところで、貧困の連鎖、親の経済力と子供の学力・学歴(≒就職・収入)という議論は多くされている。しかし、それらの議論には「遺伝」について述べられることは殆どない。

子供は親から身体を受け取る。知能は「脳」という器官に依存する。脳も身体の一部である以上、遺伝の影響を受けて当然なのだけれど。

そして、そこに残酷な現実がある。

NEWSWEEK:「知能が遺伝する」という事実に、私たちはどう向き合うべきか?
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/post-6659_3.php

教育の1つの役割は、知識のない人に知識を、能力のない人に能力を身につけさせることです。文字を知らない人たちに文字を教え、計算のできない人に計算の仕方を教えれば、その人たちは成長し、今までできなかったこともできるようになる----。

ここで忘れられがちなのは、個人差です。確かに人々に教育を施すことで、全体としての知識や能力は上がりますが、同時に個人間の格差も拡大させる方向に働きます。

教育が一部の人にしか与えられなかったときには、能力や知識の差は、その教育を受けたかどうかという環境の差で説明することができました。しかし、誰もが教育を受けられるようになれば、遺伝的な差が顕在化してくるのです。

教育が普及すればするほど遺伝の影響が大きくなる。

言い訳が出来なくなる。社会のせいにできなくなる。親のせいにすることは出来るかもしれないが、どうしようもない。これは残酷なことではないだろうか。

教育は普及すべきだし、よりよい教育を受けられるようになるべきだ。しかし、それは一方で、残酷な社会を作ってしまうのではないだろうか。

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2017年7月13日 (木)

口を閉じろ?

口を閉じろ?

ハフィントンポスト:「子どもがいないなんて、損してる!」と言わないで
http://www.huffingtonpost.jp/lindsay-detwiler/a_childless_womans_response_b_17401524.html?utm_hp_ref=japan

しかし、私たちは結婚した日から、「子どもがいないことは不幸せ」と周りから思われているのを実感する状況に何度も直面しています。知らない人に「何で子どもを作らないの?」と聞かれることもありますし、「子どもが欲しくないなんて、自分勝手」と思われることもあります。

こうした経験から、私たちにとって理想の家庭のあり方が社会の理想と一致しない時、周りからは冷たい目で見られることがある、と学びました。

子供を持たない決断に文句を言うつもりはない。しかし、この記事のタイトル「『子どもがいないなんて、損してる!』と言わないで」というタイトルには文句を言いたい。

「言わないで」って何様のつもりなのだろうか。

  *        *       *

世の中、言って良いことと悪いことがあるのは知っている。「言わないで」って言いたくなる場合があることも知っている。しかし、こういう「言わないで」って言っている側は多くの場合、人権や個人の自由を主張する側だ。子供を持たないという個人の選択を尊重するなら、「損してる」って言いたくなる個人の自由も尊重されるべきではないのだろうか。

  *        *       *

個人の自由を主張しながら、相手の言論を封じようとする姿勢には反発してしまいます。でも、まぁ、闘争する動物としての行動なら「オレの言うことを聞け(オマエの話なんか聞かん)」で正しいのでしょうけれど。

  *        *       *

あ、でも他人の嫌がることを聞くのが良いことだとか、無神経に喋って良いなどと言っている訳ではありませんよ。気遣い、心遣いをするのは人間社会において大事なことですからね。

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