2006年8月27日 (日)

満洲の「馬賊(保険隊)」

満洲の「馬賊(保険隊)」

「『馬賊』で見る満洲」
澁谷 由里 著
ISBN4-06-258317-8

民衆は公権力の保護の対象ではなく、いわば公権力から認知された私権力の収奪の対象でしかなかった。そして上層有力者でさえも、じつは官僚の異動や恩顧を失うことなどでいつその権力を取りあげられるかわからないので、やはり公権力によって無条件に守られる対象ではなく、それに依存もしくは寄生する存在であった。そのため有力者は上下を問わず、ますます民衆からの収奪を強め、経済的・社会的な自衛を図った。(P28)


「保険隊」は字句が示すとおり、「保険料」と称する金を名望家たちから受け取り、その家屋・資産を外敵の襲来から守る自衛組織である。ちなみに張作霖の「保険隊」は原則として訳1ヘクタールにつき銀1両で仕事を引き受け、初期の段階では発足した趙家廟を中心に附近7ヵ村の「保険区」を形成したといわれている。だが、「保険料」を受領していない地域では匪賊同様、掠奪・暴行・放火・誘拐などの犯罪行為を展開した。(P64〜P65)

引用したのは、日本が満洲に進出(引きずり込まれた?)時代の満洲の社会と「馬賊(保険隊)」についての描写である。

ここに描写された「馬賊(保険隊)」は単なる乱暴者ではなく、地元の有力者と結びついた「ミニ軍隊」ではないだろうか。

国家は(軍隊を使うかどうかは別にしても)その領域内では、最強の存在でなければならず、「公然とした実力行使」する存在を認めてはならない。

この時代の中国に「国家」は存在したのだろうか。

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2006年8月19日 (土)

李子朝鮮は銅貨だけで決済する

李子朝鮮は銅貨だけで決済する

「東洋文庫547 朝鮮旅行記」
ゲ・デ・チャガイ編  井上紘一訳

ロシアが19世紀末に行った、朝鮮半島の調査レポ‐トを幾つか纏めた本である。以下の引用は、1885年末から1886年2月にかけてソウルから釜山を調査(旅行)した時の記録からのものです。

貨幣は金貨も銀貨も使われておらず、流通している銅貨は全て、需要次第で一ドルにつき一,五〇〇‐二,〇〇〇ケシと評価されている。これらの貨幣は紐に通して持ち運ぶので、二週間に一度訪れる商人の決裁日には、貨幣を満載した荷車の往来を目撃することができる。(P25)

比較のため、同時期の日本について記します。

1885年(明治18年)と言えば、明治維新も一息つき、内閣制度が始まり明治政府の形も整った頃でしょうか。

江戸時代の金貨(大判・小判)は使用できないでしょうが、明治政府は代わりの金貨を発行していました。もちろん流通していました。さらに、決済には「手形」と言うものが江戸時代からありましたから、通常の決済のための「貨幣を満載した荷車」を見ることは出来ませんでした。

イザベラ・バ‐ドの「朝鮮紀行」を読んだとき、彼女が旅費を銅貨で持ち運ばねばならないため「大量の銅貨」を運ぶのに苦労をしたという記述に違和感を覚えたことを憶えています。

李子朝鮮の経済システムには、高額通貨も手形のような決済手段も無かったのは本当らしいですね。

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2006年8月14日 (月)

日本から神道と天皇制が無くなったら、何になる?

日本から神道と天皇制が無くなったら、何になる?

陸奥新報:小泉首相の握手
http://www.mutusinpou.co.jp/news/06081307.html

「いただきます」や「ごちそうさま」が、欧米にない(多分、中国にもない)が、北朝鮮や韓国には「いただきます」に相当する言葉があるという話の続きとして、以下に引用したところが続く。

その後いろいろ聞くと、日本だけと思うものがあの国にもあることが多いことが分かってきた。朝鮮半島ほど文化的に日本と近い国はないかもしれない。

細野網彦氏の著作を読むと、「日本」の範囲が曖昧だった時代(中央政府の管理が隅々までは行き渡っていない時代)には、勝手に(中央政府の許認可無しに)中国や朝鮮半島との交易・交流が行われていた。文化的・人的な交流も多く、祭礼や習慣に共通するものも多いそうだ(例えば、いわゆる被差別民(穢多など)に対する態度は西日本と朝鮮で共通するところが多い。西日本と東日本の差の方が大きいそうだ)。

だから、「日本と朝鮮半島で文化的に共通するところが多い」と言う意見には賛成する。だが、日本と朝鮮半島は全く異った文化を育み、異った歴史を歩んできたことも事実だ。

違いは何処から来たのだろうか?「日本文化から神道と天皇制が無くなると朝鮮のような文化になる」のではないだろうか。

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2006年7月12日 (水)

北朝鮮と交戦状態ですか?

北朝鮮と交戦状態ですか?

「朝鮮通信使紀行」杉 洋子
ISBN4-08-774603-8

しかし江戸時代のそれは、文禄・慶長の役で断絶した国交を復活させるための通信使派遣であり、日本に拉致された朝鮮人を連れ帰ることを目的としていた。戦後処理のための通信使派遣という朝鮮側の決断も見逃してはなるまい。

文体は読み易く、筆者の韓国に対する心情的な表現(これは私との主観の違いでしょうか)を除けば面白く読んだ。

   *   *   *

ところで、北朝鮮による拉致事件以降、「拉致」と言う言葉を時々見聞きするようになった。それまでは「人拐い」とか「誘拐」などと言っていた時にも「拉致」と表現されているように思う。

この本でも「文禄・慶長の役で...略...日本に拉致された朝鮮人を連れ帰る」と「拉致」と表現している。

しかし、私は文禄・慶長の役で日本に来た朝鮮人を「拉致された」と表現するのは適切ではないように思う。彼らは「捕虜」や「俘虜」あるいは「戦時の虜囚」と表現すべきではないか。当時は日本と朝鮮は交戦状態にあったのだから。「拉致」という表現では戦争をしていたということが伝わり難くなってしまう。

   *    *    *

日本は北朝鮮に自国の領土内で(あるいは海外で)「拉致」された。一般民間人を人拐いされた。

もしこれが「文禄・慶長の役での捕虜」と同等ならば、日本と北朝鮮は交戦状態と言うことになってしまう。

それとも、もしかして著者は「交戦状態だ」と思ってらっしゃるのかしら。

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2006年5月15日 (月)

ピラミッドや万里の長城が不道徳な遺跡?

ピラミッドや万里の長城が不道徳な遺跡?

朝鮮日報:盧大統領、UAEとエネルギー備蓄事業で合意
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/15/20060515000006.html

盧大統領はこの日、両国の経済人夕食懇談会でドバイの都市建設を称賛し「世界中からたくさんの人が訪れる万里の長城やピラミッドも、結局は戦争による抑圧と搾取の結果として積み上げられた、他人の苦痛を担保にした不道徳な遺跡といえる」と語った。

目眩いが....

他国の有名な遺跡を「不道徳な遺跡」なんて表現するか、フツ〜。

私は吉村作治氏のエジプトとピラミッドについてのTV番組を何度か視た。その番組ではピラミッド建設を、ナイル川が氾濫している間(ナイル川はアスワン・ハイ・ダムができるまで毎年のように洪水を起こしていた)の「公共事業」であるかのように扱っていた。

これも吉村さんの番組からの受売りだか、エジプト人はピラミッドを「エジプトの誇り」だと思っているらしい。

そのピラミッドを「不道徳な遺跡」なんて一国の長が言っちゃいかんでしょうが.....

    *    *    *

この発言は韓国の為にもエジプトの為にも「無かった事にする」のが一番だと思う。

この発言が「単なる失言」の類なら「忘れる」「こんなBLOGの記事にしない」のが両国の為になると思う。だけど、盧武鉉大統領の歴史観を(日本人である)私は無視することができない。

「ピラミッド〜不道徳な遺跡」と発言した大統領が隣国にいることを忘れないようにしよう。

だけど....目眩いがする......

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2006年5月 7日 (日)

事実を元にした歴史観

事実を元にした歴史観

「歴史の見方考え方」板倉聖宣
仮説社 1991年10月5日 6刷

本棚を整理したら出てきた、ISBN番号もついていない古い本である。何故こんな古い本について書くかと言うと、私の江戸時代に対する認識を変えた本だからだ。

[問題1]

江戸時代の農民のおもなエネルギー源(カロリー源)となっていたのは、次のうち何が一番多かったと思いますか。

予想

ア.米。

イ.麦−−大麦・裸麦・小麦の合計(うどんやまんじゅうの主原料は小麦です。)

ウ.雑穀−−あわ・ひえ・そば・もろこし・豆類など、米と麦以外の穀物類の総計。

エ.いも・大根、その他の野菜・山菜・木の実など。

江戸時代に農民(と分類された人々)は80%程度いた。そして主食として生産された食物のうち米は60%以上である。

この事をヒントにして考えてみてもらいたい。






農民以外の20%の人達(武士・町民)が主食の60%(米)を食べつくすことが出来るだろうか?「農民が米を食べられなかった」などと言うことがあり得ないことが判るだろう。

答えは「ア」である。意外に感じた方はいらっしゃるだろうか?

   *    *    *

1986年の初版でもあり(いま読み直してみると)内容に古さを感じるところもある。けれども「思い込み」や「思想」ではなく「事実」で歴史を見よう。今までとは異った歴史が見えて来る。そういったことをこの本には教えられた。

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2006年1月27日 (金)

左翼って、どうしてこうなんだろう

左翼って、どうしてこうなんだろう

「これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史」
中塚 明
ISBN4-87498-284-0

私は左派か右派かと聞かれれば「右派」だと思う。だから左派の本を意識的に読むようにしている。中塚氏は左派の歴史家だ。私は朝鮮の歴史も知りたいと思っていることもあって、この本を読むことにした。

前半部分にはさほど違和感もなく「親韓的だなぁ」と思うくらいで歴史書として読めたが、後半は「歴史書ではなく政治的アジテーション」としてしか読めなかった。

例えば以下の部分。

一九三六年、ベルリン・オリンピックで、「日本」はマラソンに優勝しました。しかし選手は実は朝鮮人、孫基禎でした。南昇竜も第三位に入賞しました。朝鮮の人びとは、両選手を誇りに思うと同時に、表彰台上にあがる「日の丸」にこみあげるくやしさと悲しみをあじわいました。朝鮮の新聞、『東亜日報』は孫選手の写真をのいせましたが、ユニホームの「日の丸」をけずりとって報道したのです。新聞は無期停刊の処分を受けましたが、ここにも朝鮮人の抗日の精神があざやかに示されていました。
(P159)

最後の「あざやかに」という言葉に引っかかった。「あざやかに」という言葉は価値判断を含んだ感情表現だ。私なら「はっきりと」とか「明らかに」と言う表現をする。

  • 朝鮮人の抗日の精神があざやかに示されていました。
  • 朝鮮人の抗日の精神がはっきりと示されていました。

「はっきりと」の方が「価値判断」を抑えた表現だと思う。政治的アジテーションでなければ、事実を伝えようとするのであれば「価値判断を含んだ言葉」はさけるべきではないか。

ところで「ユニホームの『日の丸』をけずりとって報道」ということは捏造写真を新聞に載せたということだ。「抗日の精神」を表現したいのであれば、写真はそのまま掲載し記事や社説で意見表明するべきなのではないか。事実を伝えるべき新聞の行為としては賛成できかねる。

     *     *     *

もちろん朝鮮総督府のこうした植民地政策でも、朝鮮人の民族魂をなくすことはできません。公立普通学校の校数・生徒数は増えては行きますが、私立学校・書堂(民間の私塾)の増加にはおよびませんでした。日本の支配者は「書堂」を「実にあわれなるありさまなり、.....ただ字を書き、字を読むだけで、なにも実用文明の学芸をさずけず、数百年来のふるくさい習慣をかたくなに守っているだけだ」(韓国政府学部『韓国教育』、一九〇九年参照)と見ていましたが、そこでは現状を打ち破り、独立の回復をめざして地道な教育がおこなわれていたのです。
(P123〜P124)

「地道な教育」の内容が知りたい。でなければ「日本の支配者」の見方が正しいかどうか判断ができない。政治的な文書であればアジれれば良いので、判断の材料を提供する必要はないけれども。

もっとも、題名に「これだけは知っておきたい」とあるように入口として書かれた本なのだろう、だから、こういったことを要求すべきではないのかもしれない。

    *    *    *

この本を面白く読めなかったかと問われれば、面白く読めた。文章は軽快で読み易いし、もっと知りたいと思ってしまったこともあった。例えば創氏改名についてだ。「入口」として書かれた本ならば成功していると言えるかもしれない。

けれども、歴史書としては「信用できない」と言わざるを得ない。歴史書としては表現に感情的な形容が多すぎるからだ、このことが歴史書ではなく政治文書だという読後感を与えている。

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2006年1月 6日 (金)

小説ですから

小説ですから

「坂の上の雲(1)」司馬遼太郎
ISBN4-16-710576-4

司馬遼太郎の小説を「事実」あるいは「歴史」として読んではマズイと思いました。

小さな。
といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな、世界の片田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。

引用した部分の前半にすごい違和感。

江戸時代について学べば「産業といえば農業しかなく」とか「人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった」なんて言えないよ。

あくまでも「小説」「フィクション」として読みましょうってことで。

  *  *  *

現在、2巻目を読み終わったところ。これは「歴史」として読むと点描に過ぎる上に正確でないように感じる。「小説」としてなら...うーん...好みじゃないみたい。エッセイと小説の混合物としてなら読めるかな。

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2006年1月 2日 (月)

戦争裁判・茶番

戦争裁判・茶番

英閣議:「ヒトラーを死刑に」 元首相が主張
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060102k0000m030014000c.html

さらに対ドイツ戦終戦直前の45年4月12日の閣議では、ナチス幹部の戦争犯罪をどう裁くかについて議論。首相は戦争裁判が「茶番」になるとして反対し、ナチス幹部を「反逆者」として裁判なしで処刑するよう主張した。

勝者が敗者を裁く戦争裁判は茶番だ、あるいは簡単に茶番になる。チャーチルの主張「裁判なしで処刑」は正義ではなく復讐を求めているように見えるかもしれない。しかし、「復讐劇」のほうが「茶番劇となった正義」よりましなのかもしれない。

   *   *   *

「東京裁判の正当性」は日米関係の隠されたトゲなのではないかと思う。「正義」より「復讐」のほうが「水に流しやすい」のではないか。

米国にとっても「自分達が正義としたもの」を疑われるより「復讐」だったと言われたほうが受け容れやすいのではないかと思う。


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2005年12月30日 (金)

読まなくても良いものを

読まなくても良いものを

「日本人は戦争に強かったのか弱かったのか」日本雑学協会
ISBN4-915872-70-X

世界の多くを相手にしたアジア・太平洋戦争で日本は完敗した。なぜ負けたのか言えば「弱かった」からと言うしかない。どう理窟をつけようが、強ければ負けるわけがない。

まぁそうなんだよ。歴史や戦史を学んで「日本は米英よりも弱かったから負けた」「どこが弱かったか」思い知らされていた。忘れていたのに題名につられて読んだら、思いださされてしまった。

弱かった理由は、この言葉に象徴されている。

戦闘終結後、スターリンの質問に対してジェーコフは、こう答えている。
「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」。その多くは、「積極性に欠け、紋切り型の行動をとる傾向があった」。

現在の日本はこの悪弊「上に行く程、無能な人間が多い」を解消できているのであろうか。

  *    *    *

古代の共和制ローマの執政官を知ったとき、うらやましいと思った。兵士による選挙で最高司令官たる執政官を選ぶ。兵士は有能な指揮官の元で戦いたい、もし戦死するにしても無駄死にはしたくない。

兵士ならだれでもそうだろう。しかも、共和制ローマでは、ローマ軍の主体は「市民兵」つまり、兵役を終えれば「市民」にもどる者達だ(つまり軍を優遇することだけでは、選挙に勝てない)。

危機感・現実感を持つ者達による指揮官の選択。この制度は正直うらやましいと思った。

  *    *    *

この本から再度引用する。

戦争はサッカーに似ている。その「民族」が持っている以上の実力は出せないという意味で。

日本は決して弱い国ではないことは確かだ、けれども大東亜戦争に日本は負けた。この事実を見据えることなしに日本の未来はないことも確かだ。

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2005年11月12日 (土)

57年前の今日

57年前の今日

1948年11月12日、すなわち 57年前の今日、極東軍事裁判(東京裁判)で「A級戦犯」のうち七名に死刑判決が言い渡されました。

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2005年9月21日 (水)

「士農工商」幻想と身分差別

「士農工商」幻想と身分差別

「身分差別社会の真実」斎藤洋一 + 大石愼二郎
ISBN4-06-149258-6

う〜ん、私の受けた「同和教育」というか「被差別部落についての教育」は何だったのでしょうね。日本の歴史を学んでいくと、いわゆる「えた・ひにん」についての記述も出てきます。うすうす、私が受けた「同和教育」(30年前!)の不充分さを感じてはいましたけど。私と同年代の人々は不正確な知識を教えられたことを知っているのだろうか。

この本を読んで心に残ったこと。

  • 「えた・ひにん」の起原は江戸時代よりもはるかにさかのぼる、江戸幕府が「えた・ひにん」を作ったのではない。政治が作ったものではないのだとしたら、政治が解消することは難しいだろう。(宗教的感覚が起原なのか?)
  • しかし、政治が努力しなくて良いと言うものではない。
  • 「えた・ひにん」は被差別者として始まったのではないかも知れない。
  • 江戸時代には「えた・ひにん」にのみ許された職業(革製品の製造など)があった。
  • 江戸時代に 裕福な「えた・ひにん」や資産家の「水呑」が存在した。武士側の公式記録による印象と(実際の)経済的状況は必ずしも一致しない。
  • 江戸時代の身分制度をあらわす「士農工商」と言う言葉も不正確ではないか。「士農工商」というよりも「武士と平民」と言うべきではないか。でないと「農家の三男坊が(口減しのため)商家に奉公に出される」ことや「商家による開拓・開墾」が説明できない。

「差別」って何なのか、考えれば考えるほど判んね〜ゎ

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2005年9月20日 (火)

合掌

合掌

旧日本兵か遺骨60体
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20050919/mng_____sya_____006.shtml

太平洋戦争当時の旧日本軍兵士のものとみられる大量の遺骨がインドネシア・パプア州ジャヤプラ市(旧ホーランジア)で見つかった。現地で確認したところ、頭蓋(ずがい)骨だけで六十人分あり、厚生労働省は、年内にも現地に職員を派遣し、遺骨の鑑定と収集に着手する方針。

魂は靖國神社に還ったかもしれませんが、多くの遺骨がおもどりになっていません。日本政府には回収するように期待します。

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2005年9月10日 (土)

危機感

危機感

「対談集『日本』をめぐって」網野善彦ほか
ISBN4-06-211023-7

網野善彦は「老マルキシスト」ともよばれるように左派の論客だが、実証的なところが好きである。

対談では勢いが強く表われるので引用することが難しい。その発言を産み出した発言を知ることなしに真意が伝わるような引用が(私に)できるだろうか。網野氏の発言から引用する。

私が「日本」という名前にこだわったのも、誰も意識してこなかったと思ったからです。敗戦の時に当然、「日本」という国名を変えようという主張が出てきてもおかしくはなかったのです。たしかに天皇制反対は共産党が主張していましたが、「日本」という国名を変えようとは誰もいいませんでしたね。そのころ共産党が理想にしていたのは、なんといっても「日本人民共和国」だったのですから。それは「日本赤軍」にまで続いているといってよいと思います。この恐るべき"鈍感さ"をどうしたら克服できるかですが。これは大変なことだと思いますよ。

網野氏は日本と言う国名を変えようとは言っていない。網野氏の言葉からは不思議と日本に対する愛情を感じることが多いことを述べておきたい。

さて、この本からは「日本」という存在が「生まれ」「育った」存在であると強く意識させられた。「日本」を語る政治家や思想家の多くはまるで「日本」が「超歴史的存在(世界が生まれた時から存在し未来永劫存在するもの、例えば地球)」であるかのように語る。もし日本が超歴史的存在で絶対に無くならないものであるなら、外国人参政権や主権の移譲も良いかもしれない。しかし、日本と言う存在は歴史的存在であり私達の世代が日本の舵取りを誤れば、日本と言う存在は無くなってしまうかもしれない。

江戸時代末期に日本人がもった危機感を現代の日本人は持つべきだと思う。

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2005年7月30日 (土)

「日本と中国における『西洋』の発見」

「日本と中国における『西洋』の発見」銭国紅
ISBN4-634-64960-8

私は「なぜ、日本は明治維新に成功し近代化し、中国(清)や朝鮮(李朝)は近代化できなかったのか」知りたいと思っている。

19世紀の清は欧米についての情報量で日本に劣ることはないようだ。むしろ、欧米の宣教師が中国語への翻訳や出版を行ない日本は翻訳された書籍を輸入する立場であったように むしろ清の方が情報を持っていたと言って良いだろう。清が近代化できなかったのは、西洋を知らなかったからではない。

では何故なのか。

まず、学ぶ態度の違いである。日本は遣隋使以来の「外国に学ぶ」という態度があった、一方、中国には〜華夷秩序というのだろうか〜自分たちが外国に学ぶものだどないという態度であった。自分たちの文明に自信を持ちすぎていた清は、ロシアに外交使節を送ったとき、西洋式の礼法に則って行なわれたことに面子を傷付けられ、外交そのものに消極的になって行く。日本は外国に行ったときには外国の礼法に従っても面子を傷付けられることはなかった。

また、比較対象の違いということもある。日本は常に先進国(潜在的な脅威)として中国を意識してきた。そのため中国と西洋を比較することができ、西洋がすぐれたているなら、その文物を取り入れることができた。それに対して、中国は外部に(文化的な面での)脅威を持たなかったため、自分自身と西洋を比較するしかなかった。人間にとって他人同士の比較よりも自分自身と他者の比較は難しいものである。この点は同情してもよいのかも知れない。

このような状況のなかアヘン戦争が起きる。そしてアヘン戦争に清は敗れるが、この時も清は危機感を持たなかったようだ。敗れたのは単に兵器の差であると解釈した中国は(兵器については学習しようとしたが)その兵器を生み出した思想と社会制度を評価することはなかったようだ。

社会の仕組を含めた近代化の必要性を実感したのは日清戦争(1894年)にやぶれてからである。日本の明治維新の約25年後のことだ。この時から中国の近代化と西洋の知識の本格的な吸収は始まるといっても良いかもしれない。考えようによっては杉田玄白の解体新書(1774年発行)から約100年の差があると言えるだろう。

さて、現在の中国はどうであろうか?

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2005年7月17日 (日)

「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」まとめ

「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」まとめ

私は朝鮮併合の前の朝鮮の状況を知りたいと思い「朝鮮紀行」を読みはじめた、そして「ものさし」としての期待から「日本奥地紀行」を読みはじめた。心に残ったのは(「朝鮮紀行」と「日本奥地紀行」の形式の違いから比較することは出来ないのかもしれないが)「日本奥地紀行」での日本文化に対する記述の多さと朝鮮の政府・行政に対するイザベラ・バードの絶望である。もし、私と同じような理由でこの2冊を読むなら、「日本奥地紀行」から読まれることをお推めする。イザベラ・バードが経験した順に読んだほうが彼女の経験を追体験できるような気がするからだ。

イザベラ・バードは日本と朝鮮の全てを見た訳でもないし、見たものを全て記述した訳でもないだろう。それでも、この2冊の記述は多岐にわたる。この本から引用して何かを述べることは、(多くのなかから一部を選ぶという行為によって)自分自身の価値観をさらす行為でもあるのだろう。この2冊の本は読む価値があった。そして、もっと19世紀の東アジアの状況を学びたいと思った。最後に「朝鮮紀行」から引用して終りにしたい。

朝鮮紀行 P563  第三十七章 最後に

今日の朝鮮人は何世紀にのわたる弱い立場の産物であるとはいえ、それでも朝鮮で一年近くすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、私は一八七十八年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

I  朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
II  国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

おしまい

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2005年7月16日 (土)

「朝鮮紀行」その4

「朝鮮紀行」その4

先程「日本奥地紀行」を読み終えた、「朝鮮紀行」昨晩(今朝?)読み終えた。

この本について「だから、この本からの引用が気になった方には、この本を通読することをお推めする。」と書いたが、この感じは変わっていない。読む価値のある本だ。さて、気になったところを引用しつつ感想を書く。

日清戦争(1894〜1895)当時の朝鮮半島での日本軍に関する記述。

朝鮮紀行 P371 第二十四章

ここをはじめ平壌までのどの郡庁所在地でも20人から30人の日本兵が庁舎に寝起きしていた。住民たちは三世紀前の遺産である憎しみから日本兵を嫌っているが、彼らに対してはなにも言えないでいる。日本兵がきちんと金を払ってものを買い、だれにも危害を加えず、庁舎の外にはめったに出て来ないことを知っているからである。

朝鮮紀行 P373 第二十四章

その日私達は三件の葬列に出会い、道路いっぱいに広がっていた日本の分遣隊が右と左に一列縦隊となって葬列を通すのを見かけた。遺体が通るとき、兵士たちは帽子に手をかけて見送っていた。

朝鮮紀行 P441 第三十章

慈山でもほかと同様、人々は日本人に対してひとり残らず殺してしまいたいというほどの激しい反感を示していたが、やはりほかのどこでもそうであるように、日本兵の品行の良さと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあることについてはしぶしぶながらも認めていた。

日本が嫌われていたことは確からしい。しかし「日本兵の品行の良さ」と「日本兵がきちんと金を払ってものを買」うことをイザベラ・バードはなぜ記述したのか。

朝鮮紀行 P432〜433 第二十八章

気候はすばらしく、雨量は適度に多く、土壌は肥え、内乱と盗賊団は少いとくれば、朝鮮人はかなり裕福でしあわせな国民であってもおかしくない。もしも「搾取」が、役所の雑卒による強制とりたてと官僚の悪弊が強力な手で阻止されたなら、そしてもしも地租が公平に課されて徴収され、法が不正の道具ではなく民衆を保護するものであったなら、朝鮮の農民はまちがいなく日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせなになれるはずなのである。
(略)
旅行者は朝鮮人が怠惰であるのに驚くが、わたしはロシア領満州にいる朝鮮人のエネルギーと勤勉さ、堅実さ、そして快適な家具や設備をそろえた彼らの住いを見て以来、朝鮮人のなまけ癖を気質とみなすのは大いに疑問だと考えている。朝鮮じゅうのだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食をまかなう以上のものを持てば、貪慾で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているからである。
(略)
搾取の手段には強制労働、法廷税額の水増し、訴訟の際の賄賂要求、強制貸し付けなどがある。小金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってくる。貸せばたいがい元金も利子も返済されず、貸すのを断われば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる。

つづく.....

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「朝鮮紀行」その3 と「日本奥地紀行」その2

「朝鮮紀行」その3 と「日本奥地紀行」その2

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

「日本奥地紀行」イザベラ・バード著 高梨健吉訳
ISBN4-582-76329-4

日本は(現代においても、そして世界中のどの国においても)全ての人々が物質的に恵まれているわけではない。この記述は鬼怒川の近くの(イザベラ・バードの従者&通訳の)伊藤もまったく知らなかった貧しい村のようすである。

日本奥地紀行 P146 第11信

仕事中はみな胴着とズボンをつけているが、家にいるときは短い下スカートをつけているだけである。何人かりっぱな家のお母さん方が、この服装だけで少しも恥しいとも思わずに、道路を横ぎり他の家を訪問している姿を見た。幼い子どもたちは、首から紐でお守り袋をかけたままの裸姿である。彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。独立勤勉の人たちに対して汚くむさくるしいという言葉を使ってよいのでものならば、彼らはまさにそれである。

そして美しいほど清潔な都市もある。以下は新潟市についての記述である。

日本奥地紀行 P195 第16信

ここには美しい料亭が多いので有名であり、遠くの地方から訪れてくるものが多い。また劇場が立派で、この町は娯楽の一大中心地となっている。町は美しいほどに清潔なので、日光のときと同じように、このよく掃ききよめられた街路を泥靴で歩くのは気が引けるほどである。これは故国のエディンバラの市当局には、よい教訓となるであろう。藁や棒切れが一本でも、紙一枚でも散れば、たちまち拾いあげられてしまう。

イザベラ・バードは日本の行政機構を基本的には信頼しているようである。対して李氏朝鮮の行政機構は評価していないようだ。

朝鮮紀行 P211 第十二章

作物は整然と植わっており、畦や灌漑用水路も良く手入れされている。日本と土壌が良くにているのであるから、しかも気候は日本よりもはるかによく恵まれているのであるから、行政さえ優秀で誠実なら、日本を旅した者が目にするような、ゆたかでしあわせな庶民を生みだすことができるであろうにと思う。

そして以下は沿海州のロシア支配下の朝鮮人に対する記述である。

朝鮮紀行 P307 第十九章

朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。ところが沿海州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。みずからを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警官や軍人から勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。

つづく....

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2005年7月15日 (金)

「朝鮮紀行」その2 と「日本奥地紀行」その1

「朝鮮紀行」その2 と「日本奥地紀行」その1

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

「日本奥地紀行」イザベラ・バード著 高梨健吉訳
ISBN4-582-76329-4

「朝鮮紀行」を読み終えていないのに「日本奥地紀行」に手を出してしまった。そして両方とも読みながら記事をかきたくなってしまった。題名が安直であることには気がつかないように。

ところで、イザベラ・バードが日本を旅したのが 1878年(明治11年)で朝鮮を旅したのが1894年から1897年にかけてである。十数年の時間差があること、記述の形式の違い、記述する期間の長さの違いも忘れないようにしないと何を比較し何を知りたいのか判らなくなってしまう。

朝鮮紀行 P55  第二章 首都の第一印象

私は昼夜のソウルを知っている。その宮殿とスラム、ことばにならないみすぼらしさと色褪せた栄華、あてのない群衆、野蛮な華麗さという点では他に比類のない中世風の行列、人で込んだ路地の不潔さ、崩壊させる力をはらんで押しよせる外国からの影響に対し、古い王国の首都としてその流儀としきたりとアイデンティティを保とうとする痛ましい試みを知っている。が、人ははじめからそのように「呑み込める」ものではない。一年かけてつき合ったのち、わたしはこの都を評価するにいたった。

朝鮮紀行 P59  第二章 首都の第一印象

城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へいくまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!

うーん、こんな引用のしかたでは「嫌韓」のプロパガンダではないか。しかし「日本奥地紀行」でもイザベラ・バードは蚤になやまされているとは記すものの、(第10信までには)これほどキツい表現は出て来ない。それよりも日本の街並について、このように記している。

日本奥地紀行 P29 第1信

日本の大通りは、イギリスの忘れられた田舎町によく見られる上品で立派な大通りと変わりはないのだが、かれらはそれに似合わぬ自分たちのおかしな姿に、少しも気がついていない。車は疾駆し、追いかけ、互いに交叉する。

彼女の(日本人の体型に対する)偏見を差し引けば、日本の街並がイギリスの上品な田舎町に似ている、つまり、彼女にとって(それほど)不快ではない場所であるように読める。(老婆心ながらご注意申し上げると、車とは人力車のことで自動車ではない。お間違いのないように)

つづく......

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2005年7月14日 (木)

「朝鮮紀行」その1

「朝鮮紀行」その1

「朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期」イザベラ・バード著 時岡敬子訳
ISBN4-06-159340-4

この本と同じ著者の「日本奥地紀行」も読むつもりである。読もうと思った理由は後述するが、この2冊を読み切るまでに時間がかかりそうなので、読みおえた部分から記事にしていこうと思う。2冊とも読み切ったら纏めの記事を書きたい。

この本を読もうと思ったのは「当代江北日記」 というサイトのこの記事  この記事 を読んだからである。イザベラ・バードの名は「2ちゃんねる」などで眼にしていた。この本からの引用がプロバガンダの材料のように使われていたので「と」系の人物と本であるように感じていた。「当代江北日記」さんは「やや左派の良質なサイト」あると評価している。そこで言及され「2ちゃんねる」での評価と全く違う日本と朝鮮への評価がなされていた。

それで、読んでみようと思ったのである。

さて、私の読んでいる本は講談社文庫版のものであるが、この本は(私の知る限り)2種類の翻訳本があり「当代江北日記」で言及されたものは平凡社が出版したものである。平凡社のもの は翻訳者の名前から推理すると朝鮮の人が翻訳したものと思う。

さて余計な前説はこれくらいにする。

まず、この本(朝鮮紀行)の内容は、多岐に渡っている。李氏朝鮮を四度旅し朝鮮半島から沿海州まで足を延ばしている。時には日本にも立ち寄っている。だから、「嫌韓」の側からも「親韓」の側からも都合の良いところが見つかるということだ。この本を引用してどちらの側からも都合の良いプロパガンダが書けるだろう。この本からの引用には用心せねばならない。

だから、この本からの引用が気になった方には、この本を通読することをお推めする。李氏朝鮮と朝鮮人・日本人を一人のイギリス婦人がどの様に見ていたか理解できるような気がする。まだ読了していない私には言う資格がないのかもしれないが。

さて、この本を引用している場合は用心せよと書いたので安心して引用する。

序章より(P29)

手工業は不振である。最上の生産物はコウゾでつくる数種の紙で、そのうち油紙はベラム革のような見かけをしており、人をその上に載せて四すみをもちあげられるほどじょうぶである。その他上質のござ、竹製のすだれがある。
美術工芸はなにもない。

いきなり「美術工芸はなにもない」かい!

*  *  *

訂正しました

  誤)「日本奥地紀行」を
  正)「日本奥地紀行」も

  誤) 多岐に渡りっている
  正) 多岐に渡っている

  誤) 〜じょうぶである。
  正) 〜じょうぶである。その他上質のござ、竹製のすだれがある。

  誤)李斯朝鮮
  正)李氏朝鮮

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2005年7月 5日 (火)

魔都上海

「魔都上海」劉建耀
ISBN4-06-258186-8

1845年 上海の租界が始まった。そして第2次大戦頃までの約100年間存在した近代西洋と中国の伝統文化の混血児が「魔都上海」である。「魔都上海」うーん。「租界」「阿片窟」「妓館」 その時代に生まれたら男なら行ってみたくなる響だよねぇ。

この本は、1845年頃から第一次上海事変頃までの上海の歴史を文化的な側面とそれが日本に与えた影響についての論文と言ってよいだろう。文章はやや硬いが面白く読み進むことができた。

1845年 アヘン戦争に勝ったイギリスは上海に租借地をみとめさせる。それが上海の租界の始まりであるが租界は「風紀の乱れた場所」というイメージで捕えるのは一面的にすぎるようだ。上海にできた租界は欧米諸国にとって 商業基地であると同時にキリスト教を布教するための情報発信基地でもあった。キリスト教を布教するために宣教師たちは聖書を翻訳するのみではなく 西洋の学術書を翻訳し西洋の制度や政治を紹介する雑誌を出版していた。

これらの漢籍は日本にも輸入されていた。江戸時代の日本は「鎖国」をしているようでいて意外と海外の情報は入っていたのだ。その一部は上海で翻訳・出版された漢籍であった。
幕末になると書籍を輸入するのみならず多くの日本人が上海を訪れることになる。上海を訪れた日本人は西洋近代と半植民地化した租界を経験したのだ。この上海体験は明治維新への大きな力となった。

明治維新が成功し近代日本が成立すると「整って窮屈な日本」vs「自由と渾沌の上海」という構図が出現する。近代と中国の混血都市、清の中の独立国。「魔都上海」って良い響だよぇ。

近現代史をもう一度読みなおしたいと思ってしまった一冊でした。

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2005年6月 6日 (月)

現在のギリシア人の体型と古代ギリシャの彫像の体型

現在のギリシア人の体型と古代ギリシャの彫像の体型

「エコノミスト」2005/06/14号 p40
こぼれ落ちた世界史「現代のギリシア」清水義範

楽しんで読めた。現在のギリシア人の体型と古代ギリシャの彫像の体型はなぜ違うのだろう。それは....

ということはおいとて、

そして現在のギリシアという国は、表向きには古代ギリシアの末裔だという顔をするようにしているらしい。
(中略)
ヨーロッパ人が誇る文明の華であるルネッサンスの、そのまた原型は私達の先祖の築いたギリシア文明だと言っていられる。古代ギリシアと結びつけておけば、ヨーロッパの国々の中の長男のような位置にいられるのだ。
ヨーロッパの東のはずれの、スラブの血や、トルコの文化の混じった田舎者なんだと自己紹介するのは損である。古代ギリシアの子孫ですと言った方がはるかに通りがいい。

そーだよね〜。これも一つの歴史の使い方だよね。私達は歴史は政治であることを忘れすぎている。それは私達の歴史があまりにも幸せであったことの結果だろう。日本は建国いらい今日まで歴史や文化の断絶を経験していない。これを幸せといわず何と言えば良いだろう。

中国や韓国は、その歴史の中で異民族の侵略を経験している。異民族の侵略によって政権が交替する時の苛烈さを我々日本人は理解できるのだろうか。そういった国々を相手にしていることを忘れてはいけない。

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2005年5月26日 (木)

「霞ヶ関のそばで『戦争の記憶展』を」 By Carol Gluck

「霞ヶ関のそばで『戦争の記憶展』を」 By Carol Gluck
ニューズウィーク 2006/06/01号
http://www.nwj.ne.jp/

うーん、ニューズウィークは左派系の雑誌なので、こんな記事があっても驚かないが、筆者は現実が見えているのだろうか?

戦争責任をめぐる圧力がたかまる今、東京で第二次大戦の歴史展示を開くというのはどうか。そう考えるのは意味あることだ。展覧会は大日本帝国の拡大、アジア・太平洋戦争の開戦から始まり、あらゆる偽性、残虐行為、失われた人命などを明らかにする。
(中略)
霞ヶ関の近くでこんな展覧会を実現させるのは、戦後60年たった今でも望めそうにない。

読後 いや〜な感じがのこるコラム。後味の悪い甘〜い安物のお菓子を食べたようだ。

日本は言論と表現の自由がある国だ。日本ではどんな展覧会を開こうと自由だ。日本には、朝鮮総連が国会会館で反日集会(*1)を開けるほど、言論と表現の自由がある。展示会が開けないとしたら 主宰者にやる気がないか、能力がないかの何方かだよ。

それから、結論を誘導するだけの展示会には興味がない。あらたな視点を提供してくれたり 論点整理や対立点を明らかにしてくれない展示会には行かないだろう。太平洋戦争について展示会を行なうなら、19世紀からの歴史を述べないではすまないだろう。大戦前のアジアの支配者は どうやって支配権を手にしたのか? そのアジアの民衆はどんな生活をしていたのか? 支配権はどの様にして失われていったのか?

欧米諸国にとっても厳しい問いになることだろうが、そこまで踏みこんで歴史を語る勇気が必要だ。

私が、歴史の展示会をするとしたら「歴史教科書の展示会」がいい。各国の15才ぐらいの子供が学ぶ世界史と自国の歴史の教科書を展示するのだ。もちろん相互に翻訳し互いに批評しあう。また他国の歴史学者に正しさ・中立性について評価してもらうのも良いだろう。「歴史教科書」にはその国の「正史」が表われる。そして「現在使っている教科書」はいくらでも手に入り史料であありがちな真贋論争にも無縁だという利点がある。

(*1) 以下 URL を参照
   http://www.tarochan.net/archives/2005/02/post_93.php
   http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000456.html

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2005年5月21日 (土)

浮世絵はマンガへと進化した

浮世絵はマンガへと進化した

「エコノミスト」2005/05/24号 p70
   『模倣される日本』浜野保樹著  書評 著者インタビュー

『模倣される日本』は本屋で見かけただけで、読んではいない。たまたま買った雑誌に書評があったので(書評を)読んでみた。最後の部分を引用する。

話をアニメに戻せば、世界が注目していると喜んでいるだけでは、かつてジャポニズムで浮世絵が世界的なブームになりながら、浮世絵自体は日本から消えていった二の舞にならないもと限らない。そのことを心にとどめておくべきだと思います。

さて、私は浮世絵が消えたことを残念だとは思うが、悲観すべきでないとおもう。浮世絵はマンガへと進化したのだと思うから。浮世絵は庶民が楽しむもで、現代風に言えば「アイドル生写真」や「旅行ガイドのさし絵」や「エロ本」の類である。時とともに変化するもので、保存すべきものではない。伝統芸能のように遺すことは可能だったかも知れないが、そのように「保護されているもの」は、「『浮世』絵」ではないだろう。

もっとも、絵描きが「マンガへと進化したのだ」と言って胸をはるのは良いだろうが、商人は違う。浮世絵は世界的なブームになったが、(世界的なブームは)日本の版元に利益をもたらしてはいないだろう。世界でブームにっているのに儲そこなっては商人としては半人前である。

  * * *

書評で記事をかいちゃったから『模倣される日本』読んでみようかな。

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2005年5月20日 (金)

「現代史の中で考える」高坂正堯 著

「現代史の中で考える」高坂正堯 著
ISDN4-10-600526-3

古い本であるが、今、考えなければならないこと・思いだしておかなければならないことが書いてある。引用する。

それからもう一つ付け加えますと、あの天安門広場のようなところに学生がいて、周りを囲み鉄砲を撃ちます。当然ながら、ある程度の弾丸は学生を飛び越え、向う側にも達します。向こう側にも兵隊はいます。死にますよね。今回の兵士の死傷者というのは、そうして出たとしか考えられません。撃たれた側の兵隊は、ますます頭に血が上って、ますます撃つのではないですか。今回「手当たり次第発砲した」と言う記録がたくさんありあすけれども、そういう状況でなかったら兵隊から何人もの死傷者が出るなんてことになるわけがない。だから、私はあの軍隊の使用法を考えた人物は、力の使用ということが非常によくわかっている人間だと思います。いささか血と涙に乏しい人間ではありますけれども、えらいもんやという感じもしないわけではありません。」

「天安門事件直後に感じたこと」と題された1989年6月21日 新潮社の社内勉強会の講演の一部。

忘れないで欲しい、1989年に自国民に発砲した中国と言う国を。その鎮圧を行なった者達の後継者が現政権であることを忘れてはいけない。この政治的タフさに日本は向かい合わねばならない。

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2005年5月19日 (木)

「一日江戸人」杉浦日向子

「一日江戸人」杉浦日向子
ISBN4-09-402361-5

これは、歴史の本じゃないよな〜。でも歴史に興味のあるひとは是非よんでもらいたい。小難しい歴史書じゃないけれども、私の歴史観に大きな影響を与えた本だから。

著者の杉浦日向子氏は江戸研究家で漫画家。江戸時代人(江戸人)の日々の生活が楽しく描かれている。江戸時代の豊かさを満喫しよう。「江戸時代=封建社会=息苦しくで貧しい生活」という固定観念を持っているひとは是非読むべし。日本の豊かさは江戸時代には始まっていたのだ。江戸時代の文化、浮世絵・歌舞伎・落語・お祭り・細工物・和服、は町民・庶民の作りあげたものだ。こんなすばらしいものを作りあげた人達が豊かでないはずがない。

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2005年5月18日 (水)

「静かに語れ歴史教育」荒木肇

「静かに語れ歴史教育」荒木肇
ISBN4-931178-17-0

文章がかたいので読みにくい。だけど時間と頭に余裕のあるときに読みなおしたい本だ。著者の言いたいことには賛成する点が多いので。例えば「『教え子を二度と戦場に送るな』というのも、反省しているようでそうでない。送る、送らないは、やはり自分は安全地帯にいる発想である。」「いつもの教師の手口に慣れきっているので、自分の意見を決して言わない。彼らは意欲が低いのでもなければ...(中略)...もっと他のことで近代史を学びたいといった自由はその学級では認められることがない。」などなど。

私が、いわゆる「平和教育」を受け不満だった点をよく指摘している。現在、学校でどのような平和教育が行なわれているが知らないが、私が受けた平和教育について最も不満な点は「心情的な平和を唱える」だけで「なぜ戦争になったのか」「さける方法はなかったのか」について全く答えていないことだ。

歴史を学ぶことで学んで欲しいこと あるいは自分が歴史を学んで思うことは、「歴史を背負っている」ということだ。私達は、突然空中に親もなく生まれたわけではない。日々つかっている言葉や道具、生活を支えている社会の仕組や常識は、長い時間のなかで育まれたものであること、先祖達の努力と生活があって 今の生活があるということだ。「先祖に感謝しろ」と言うつもりはない。「継続している存在」「受け継いだ存在」であることを覚えてもらえれば十分だ。

細かい記述が多くすらすら読める本ではない。南京事件など細かく論証している。多分、著者は南京事件はなかったと思っている と思う。その当時の日本軍に 中国側が主張するような方法では南京事件を起こす能力がなかったことを淡々と記述してあるが まるで法廷に提出される鑑定書のような印象。これ以外にも戦前の日本社会や軍について説得力のある内容がもりだくさん。

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2005年5月15日 (日)

「歴史とはなにか」岡田英弘著

「歴史とはなにか」岡田英弘著
ISBN4-16-660155-5

昨日のつづき、

「歴史は科学ではない」と言ってしまうと「歴史を自分の都合の良いように捏造してしまうこと」を認めるように思われるかもしれない。

歴史には「よい歴史」と「悪い歴史」がある。引用すると「『よい歴史』とは、結局、史料のあらゆる情報を、一貫した論理で解釈できる説明のことだ。」

「よい歴史」とは史料を捏造も無視もせず(ここで中共は失格)説明しなければならない。「よい歴史」かどうか判断するしようとする人は、史料の捏造や無視がないことに加え、解釈に不可避的にもちこまれる「歴史家の価値観・人格」をも判断しなければならない。

「歴史とはなにか」には白村江の敗戦が日本にあたえた影響など、日・中の基本的な構図を描き出している。日本は中国からの独立が国是であることが良く判る。

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2005年5月14日 (土)

「歴史とはなにか」岡田英弘著

「歴史とはなにか」岡田英弘著
ISBN4-16-660155-5

最初はこれ。私は名著だと思う。いま日中・日韓で歴史教科書が問題になっているが、歴史問題について関心のあるひとは是非読むべきだ。この本を読んで、すいぶん頭のなかが整理された。

私なりにまとめてみる。

(1) 歴史はとは、「歴史的事実」と「歴史認識・評価」からなる。
(2) 歴史は科学ではない。というより科学になることはできない。
(3) 歴史は「政治的武器」だ。

「歴史認識・評価」は人間が下すものであって、「科学的に正しい歴史認識」がありえないものであることは自明だろう。歴史認識を「正しい」「正しくない」と評価することは価値判断であって宗教と哲学の問題なのだ。そして歴史は「政治的武器」だ。最近の例で言えば「竹島」の領有権を日本と韓国が争っているが、両国とも「歴史的にみて我が国のもの」と主張している。「歴史的に見て**国の領土」と判断された島を他国が占拠したとするなら、それは「侵略」になってしまう。

りっぱな「政治的武器」だ。

そして、人間は「自分は何者であるか」を問い「帰属意識」を持つものなのだ。歴史は回答をあたえる。国民国家にとって国民が歴史を共有することは必要条件だ。

中国は国民国家になろうとしている。国民がひとつの神話を信じなければ国民国家として成立しないのだ。「中国共産党」はその「国民が共有する歴史」(つまり一種の国造り神話)の一部に「抗日」を組みこんでしまったのだ。

中国を「抗日という国造り神話」でまとめようとする限り、中国は日本を滅ぼそうとするだろう。

今日はここまで、

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