2009年9月21日 (月)

日本には新たな皇民化教育が必要だ

日本には新たな皇民化教育が必要だ

毎日新聞:パネル討議:外国籍教員は「ダメで無能」ですか? 苦悩、切々と--中央区 /兵庫
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20090914ddlk28040168000c.html

生徒指導部長を解任され2年間、「手当のつかない学年主任」を務める県立湊川高教員、方政雄(パンジョンウン)さん(58)は「教員は日本の子どもたち、社会を良くするために教壇に立っているのにむなしさを覚える。活動を通じ、多様性を認め合う懐の深い社会に変えていきたい」とそれぞれ決意を語った。

アメリカ合衆国は多様な民族・多様な出自・多様な宗教・人種・民族から構成される国家だ。そして「星条旗への誓い」を幼児の時から国民に求める社会でもある。

もし、アメリカの教育から星条旗の誓いを取り除いたら、アメリカはどんな国になるだろうか?

おそらく、アメリカ合衆国は民族や出自・宗教や価値観によって内部分裂し、アメリカ合衆国という国は存在しなくなるだろう。それそれの価値観に従った多数の国が互いに争う地域になってしまうだろう。

「星条旗への誓い」は多様な価値観をもった人々に「共通の価値観」、一本の軸を通すものなのだ。星条旗とそれが象徴するものに忠誠を誓うことで、互いの違いを許容することが出来ると言うことも出来るだろう。

もし「多様性を認め」あうことを求め、同時に、社会の分裂を望まないなら、なにか「共通の軸」を設定しなければならない。

アメリカにとってそれは「星条旗(と、それが象徴するもの)」であるから、一生懸命それを教育しているのだ。

では、現在の日本には「共通の軸」があるだろうか。価値観の多様化してしまった日本人は「共通の軸」を見失っていないだろうか。共通の軸を見失ったまま、下手に「多様性」を認めるなら国家の分裂と混乱を招くのではないか(既に、招いているのかもしれない)。

  *        *       *

アメリカが「懐の深い社会」かどうかは知らないが、多様な価値観をもった人々を「星条旗への誓い」で統合していることを忘れてはならない。そして「星条旗への誓い」があることで、互いの異なった(場合によっては対立する)価値観を共存させていることも見逃してはならない。

多様な価値観を認め互いの自由を認める日本であるためには、新たな皇民化教育が必要なのだ。

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2008年8月31日 (日)

全国学力テストの成果

全国学力テストの成果

読売新聞:橋下知事「学力テスト、市町村別の点数公表を」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080831-OYT1T00092.htm?from=main2
橋下知事「学力テスト、市町村別の点数公表を」

大阪府の橋下徹知事は30日、同府貝塚市で開かれた教育シンポジウムで、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果について、「市町村別の点数も公表すべきだ」と述べ、府内全市町村の「学力順位」を公表するよう近く府教委に求める考えを明らかにした。

参加者にも「どんどん(成績の)情報公開請求を」と呼びかけた。

学力テストの都道府県別成績で、府は2年連続で全国平均を下回っており、橋下知事は「大阪の公教育は崩壊している。府教委は最悪だ。教育委員はみんなお飾り」と批判。「結果が示されないから市町村教委は甘えている」との認識を示した。

全国学力テストを実施したことの最大の成果は、各県や各市の教育関係者に危機感を持たせたことではないでしょうか。

生活態度と成績の相関など既に言われていたことの検証などよりも、各地の教育委員会が危機感を持つことの方が、公教育に対する影響は大きいに違いありません。

特に、順位が悪かった地域では、教育関係者の努力(or 入れ換わり)を促す効果が期待できます。

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2006年4月10日 (月)

声を出して読みたい教育勅語

声を出して読みたい教育勅語

昨日の記事の教育勅語を小さな声で良いから、声に出して読んでみて欲しい。詩のような美しさを感じないだろうか。

勅語の現代語訳を(ンターネット上のむのも含め)いくつか読んでみたが(声に出して読んでみると)どれも原文の響きの美しさに敵わないように思う。

漢文調の美しさと言うか、明治人の(詩文と漢文の)教養に現代人(と現代文学)は敵わないのだろうか。

   *    *     *

私の現代文学の知識が足りないだけなんだよね...多分

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2006年4月 9日 (日)

教育勅語

教育勅語

教育勅語を読んでみた。どこが問題なのか私には判らなかった。

日本国憲法によると天皇は日本国の象徴である。教育勅語にある「皇」の字は天皇家ではなく日本を顕わしていると読むべきだろう。日本の歴史と祖先を誇り、学び働き立派に生きることを願う文章にしか読めなかった。

朕惟フニ
チン オモうに

我カ皇祖皇宗
ワが コウソ コウソウ

國ヲ
クニを

肇ムルコト
ハジむること

宏遠ニ德ヲ
コウエンにトクを

樹ツルコト
タつること

深厚ナリ
シンコウなり

我カ臣民克ク
ワが シンミン ヨく

忠ニ克ク
チュウにヨく

孝ニ億兆心ヲ
コウに オクチョウ ココロを

一ニシテ世世厥ノ美ヲ
イツにして ヨヨのビを

濟セルハ
ナせるは

此レ
コれ

我カ國體ノ
ワが コクタイの

精華ニシテ
セイカにして

教育ノ
キョウイクの

淵源亦
エンゲン マタ

實ニ
ジツに

此ニ 存ス
ココにソンす

爾臣民
ナンジ シンミン

父母ニ孝ニ
フボに コウに

兄弟ニ友ニ
ケイテイに ユウに

夫婦相和シ
フウフ アイワし

朋友相信シ
ホウユウ アイシンじ

恭儉己レヲ持シ
キョウケン オノレを ジし

博愛衆ニ及ホシ
ハクアイ シュウに オヨぼし

學ヲ修メ
ガクを オサめ

業ヲ習ヒ
ギョウを ナラい

以テ
モッて

智能ヲ啓發シ
チノウを ケイハツし

德器ヲ成就シ
トッキを ジョウジュし

進テ公益ヲ廣メ
ススンで コウエキを ヒロめ

世務ヲ開キ
セイムを ヒラき

常ニ國憲ヲ重シ
ツネに コッケンを オモンじ

國法ニ遵ヒ
コクホウに シタガい

一旦緩急アレハ
イッタン カンキュウあれば

義勇公ニ奉シ
ギユウコウに ホウじ

以テ
モッて

天壤無窮ノ
テンジョウ ムキュウの

皇運ヲ扶翼スヘシ
コウウンを フヨクすべし

是ノ如キハ
コのゴトきは

獨リ朕カ忠良ノ
ヒトり チンが チュウリョウの

臣民タルノミナラス
シンミンたるのみならず

又以テ
マタモッテ

爾祖先ノ
ナンジ ソセンの

遺風ヲ
イフウを

顯彰スルニ足ラン
ケンショウスルに タらん

斯ノ道ハ
コの ミチは

實ニ
ジツに

我カ皇祖皇宗ノ
ワが コウソコウソウの

遺訓ニシテ
イクンにして

子孫臣民ノ
シソン シンミンの

倶ニ
トモに

遵守スヘキ所
ソンシュすべきトコロ

之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
コレ ココンに ツウじて アヤマらず

之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
コレを チュウガイに ホドコして モトらず

朕爾臣民ト倶ニ
チン ナンジ シンミンと トモに

拳々服膺シテ
ケンケン フクヨウして

咸其德ヲ
ミナ ソノ トクを

一ニセンコトヲ庶幾フ
イツに センコトを コイネガう

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2006年2月 7日 (火)

ゆとり教育は階級社会をもたらす

ゆとり教育は階級社会をもたらす

「世界時計 アメリカでも議論を呼ぶ『下流社会』」
大塚隆一
読売ウイークリー 2006.2.19

アメリカは自由で階級の無い社会のようなイメージがありますが、そのアメリカで「階級の固定化」が議論を呼んでいるそうです。

引用します。

「物を言うのは階級だ」(ニューヨーク・タイムズ紙)
「アメリカよりヨーロッパのほうが社会で上昇できるチャンスがある」(ウォールストリート・ジャーナル紙)
(略)
「しかし、過去30年で階級の果たす役割はむしろ大きくなった。学業での成功が階級と結びついている。富裕層は他の階層と隔絶されつつある。階級の違いによる平均寿命の差も広がっている」
両紙が特に注目したのは「流動性」の問題だった。
(略)
しかし、両紙によれば、異る階層間の移動は減ってきている。
(略)
生まれた時と同じ階層にとどまり続ける確率は以前より高まってきたという。
また、カギを握るのは家柄や財産ではなく教育であり、高学歴者同士が結婚して子供をまた有名大学に送り込むことで、階層の固定化が進んでいるという。

単純に言うと「勉強しないと一生貧乏暮らし」ってこと。

そして、富裕層は「教育の力」を信じているし「教育を子供に与える資力」もある。対して下層階級は「教育が何をもたらすか」すら知らないし、学校へ行かせる金もないということ。

日本でも勉強しなければ「一生貧乏暮らし」だろう。仕事はますます頭脳労働化している。ロボットや自動機械が発達している社会では、勉強で鍛えた頭腦こそが最大の競争手段であると言ってよいだろう。

    *    *    *

階層の固定化を防ぐと言う観点から見ると(「ゆとり教育」の見直しが始まったとはいえ)日本の状況も楽観できる状態ではない。漢字テストで0点をとっても「あなたのお子さんの個性ですから」と言う教師までいる(実話)のだから。

こんな教師に担任されてしまったら親ががんばるしなかい。

    *    *    *

「教育の力」を知り、上質の多くの教育を与える資力を持った親と、そうでない親がいる。塾や家庭教師・私立学校と言った公教育以外の教育を子供に与えることの出来る親と、できない親がいる。

昔から、お坊っちゃま・お嬢さん学校と言うものはあった。上流階級は昔から公教育以上の教育を与えていた。その意味では昔から格差はあった。

「ゆとり教育」がもたらす格差は上流階級とそれ以外の格差ではない。下流〜中流階級の格差だろう。下流階級が受け取る教育が貧弱になっていくと言うことだ。中流階級に教育負担が重くのしかかってくると言うことだ。

    *    *    *

学校に行かなくても偉くなった人はいる。しかし、勉強しなくて偉くなった人はいない。そして、公立学校は勉強する場所と手段をどんな階層の子供にも提供する。「ゆとり教育」という公教育の貧困化は、下流階級の子供が豊かな生活を獲得する道を閉ざすことになるだろう。

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2006年1月21日 (土)

隠された教科書問題

隠された教科書問題

「新編 新しい国語」東京書籍
中学校国語科用 文部科学省検定教科書

中学2年用の国語の教科書である。読む機会があった。

国語の教科書だから、当然ながら小説や詩が載っている。問題だと感じたのは「半分のふるさと イ・サンクム」である。この短編小説は、日本に来た朝鮮人の子供(つまり在日朝鮮人2世)の物語なである(まず日本の国語の教科書で朝鮮文学について取り上げる理由がわからない)。問題なのは、主人公のオモニの話として日本の朝鮮半島支配の非道さを〜政治家の演説のように〜書かれているところだ。

少し引用する。

「昔、朝鮮は立派な国だった。日本の人に、学問を教えて上げるほどりっぱな国だったんだよ。そのうち、日本はあんまり力が強くなって欲を出し始めた。支那は、もと清国というたが、日本は清国と戦争をして勝ったんよ。その次、ロシアと戦争して、また勝った。朝鮮は、ちょうど真ん中に挟まれて、この戦争でずいぶん迷惑したんよ。日本は、その勢いで、とうとう朝鮮を自分の国にしてしもうた。朝鮮人は、もちろん反対した。日本の警察や兵隊が、文句言う朝鮮人は、みんな捕まえた。たくさんの人が、牢屋に入れられたり、財産取られたり、拷問にかけられてけがをしたり、死んだりした。」
P206〜P207

もし、これが社会の教科書であれば大騒ぎになっているに違いない内容だ。これは「政治的文書の読み解きかた」といったテーマなら別だが、日本の国語の教材として適切とはとても思えない。

国語能力を鍛えたいのか政治的言説を読ませたいのか疑問に思ってしまう。

   *   *   *

もし、近くに公立図書館があれば行ってみてもらいたい。公立の図書館には、その地区の小学校や中学校で使用している教科書が置いてあることが多い。そして教科書を読んでみるべきだ。

私は「歴史教科書」は読んだことがあったが「国語」を読んだことはなかった。次の機会には、国語など社会科以外の教科書も手に取ってみようと思う。

   *   *   *

教科書問題は「歴史」だけではない。
地元の国会議員にメールをしてみるかな(返事がこないんだよな〜、掲示板もないし)。

訂正:(2006/11/20 01:17)
            正:「新編 新しい国語」東京書籍
            誤: 「新しい国語」東京出版
      
         百式樣、ご指摘ありがとうございました。

東京書籍および、東京出版の方、この記事をお読みになった方にはお詫び申しあげます。

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